境内案内
(諸堂紹介)

山門

形状は薬医門。降り棟なしの奈良時代の簡素な形が美しい。構造も地垂木のみで軒を支え、屋根瓦は中江戸物使用し本葺。巴瓦には浄土寺紋を模る。鬼瓦は古代鬼面鬼瓦、ご仏縁を戴く大本山中山寺村主倪下の直筆下絵から鬼師が再現した。瓦隅蓋には魔除け災い除けの蜻蛉(トンボ)を配した。材木は檜、骨組みには一切金物を使わず伝統的な宮大工の木組みで構築している。作ってくれたのは才能あふれる若き宮大工棟梁、西宮市團上工務店・團上和孝氏である。寺院建築で将来名工になる人物だ。山門名は「光壽門」。西宮市栄潤寺 吉井恵貫師命名。

大師堂

いんのしま島四国霊場札所 第六十一番 香園寺 新たに等身大の弘法大師坐像を本尊に祀り荘厳さらに加わる。

鎮守堂(三宝荒神尊)

表門の西側奥に建築された流れ造り風で、向拝付の本瓦葺の神社風の建物。昭和58年(1983)、老朽化の堂を新築する。

本堂(阿弥陀堂)

文雄住職の代に、外陣の狭さに法要がやりにくく、参拝者の便利が悪い事もあり、元の薬師堂と本堂の2つのお堂を1つにして改築した。内陣は元薬師堂、外陣は元本堂(阿弥陀堂)である。その元本堂の天井より白龍の古い天井絵を発見した。

客殿(観音堂)

位牌堂を含めた七間四方のお堂。外陣が広いため沢山の行事を行う。客殿内陣正面の荘厳具。神戸在住の本小江家の後継者(恵徳上人の縁戚)の奉納仏具品。


位牌堂

浄土寺本尊の身代りでもある小ぶりな阿弥陀尊を配し、歴代住職位牌・戦没者軍人位牌・八朔原木の八朔地蔵尊・各檀家永代供養の位牌が列を成し、年忌法事の供養供物や卒塔婆を祀り法事供養墓参供養の後、最後ここに参り法事を終了される。

鐘楼堂

阿弥陀堂の西上にあり、柱真々約九尺四方の割合大型の四脚鐘撞堂で、屋根は入母屋本瓦葺の鐘撞き堂である。

六地蔵堂

江戸・明治の土葬の時代には鐘つき堂横の六地蔵堂で檀家の葬儀をしていた。六地蔵堂の西側には畳一~二畳の導師席の小さな棟があり、堂には祭壇を設け供物生花丸棺桶を祀り回りに親族等の席を列して葬儀引導を亡者に渡していた。埋葬には堂の周りを逆に3回周り次に時計の方向に3回周り丸棺桶は皆に担がれ白木位牌四華花四本幡杖笠塔婆供物等の皆の行列で墓場に向かった。

英霊殿と忠魂碑

終戦後、田熊町出身の戦没者を慰霊するために建立。堂内には戦没者の遺髪や戦地の石や形見の品等の入った骨箱が一杯に祀られている。本尊は遺族会の篤信の方の寄付された虚空蔵菩薩を祀る。

手水舎(龍亀堂)

江戸後期文政8年(1825)の手水鉢が山門横にあったが、平成24年(2012)11月に新しい手水舎龍亀堂として完成予定。手水舎、お墓参りの水汲場所と同じ屋根下に水天尊の眷属龍像亀像を祀り、水への感謝と功徳を祈る場所として建設。また、参拝者の休憩場所にもなる。
下の写真は、「文雄長老直筆 種字入の眷属亀像」と「龍亀堂天井彫刻 眷属龍像」

茶室「和月茶寮」並びに法要集会所

本玄関

浄土寺正式の法要門。法要の際には、この門を通り各お堂へ進列する。玄関屋根瓦には飛来天女が舞い吉兆を祈る。

本坊

各行事には、6つの部屋を使用して料理厨房・弁当盛り付け室・総代会準備室・参拝者食事場・来賓控え室などになる。

奥庭

中庭

浄土寺境内2ヶ所の蘇鉄は、大きさや樹木外皮の様子から江戸室町以前よりあるくらい古いといわれている。これら2ヶ所の蘇鉄のそばに浄土寺の諸堂が建立されたという事になる。

土蔵

平成七年 新築

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